がん哲学外来

少し前になりますが、患者に哲学外来をしているという、私とそれ程年の違いのないがんの基礎研究者のご講演を聴いて来ました。

がんのメカニズムを研究した者が患者に伝えられることは確かにあるのだろうと思います。
私たち医療者にとっては沢山の経験のある病状であっても、患者さんにとっては初めての不安なことだと知っています。その不安をできるだけ受け止めるべく皆で定期的にさまざまな勉強会などの場をもち、改善すべきことはないか話し合っています。しかし、一方では、どうしても患者さんや患者さんの家族の立場になれない部分もあります。私自身病気になったとき、その本当の気持ちは家族にも理解できないだろうと思えましたし(むしろ自分で消化できるのなら知らせたくないと思いました)、自分自身ですら心の振れを推し量ることができなかったのですから、当然と言えば当然かもしれません。患者さん7人に1人というスタッフの数や設備的な問題もあって、常に入院待ちが控える状況では患者さんやご家族の希望に沿えないときもあります。
どうして自分がこんな病気になったのだろうという戸惑い、治らないと言われたときの不安やぶつけようのない怒りなどもスタッフと共に受け止めることもあります。セカンドオピニオンなど受けてもらって共通の理解を育て、最善と考えられる治療を受けていただくために、話し合いを繰り返します。医学的な事実を並べることは容易ですが、それをどう受け止め、何を最善とするかは患者さんによって異なります。患者さんの意思が最優先されるのですが、その意思も時間経過の中で揺れ動くことも当然あります。日々患者さんと医師の人間性や人生観のすり合わせの毎日で、医学的な合理性とは別にそういう考え方もあるのか、と教えられることも少なくありません。この意味では、哲学と言えなくもありません。

それでも、私の外来はがん哲学外来からは程遠く、限られた時間の中で、目の前の患者さんの体調や不安に気を配るのが精一杯です。

私もいつか主治医という立場を離れて、がん治療にあたった経験や自分の病気の経験などを話すことがあるのかもしれません。人生哲学を語るにはまだ私は若すぎるように思いますし、今はまだ毎日が戦いのようです。

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