医療費抑制

最近の新しい抗がん剤には一本100万円近くかかるものもあります。これらが月に1回、2回と使用され、さらに年余に及ぶこともあります。高額医療の対象となり、自己負担とともに、社会的にも医療費の増大をみることは明らかです。
一方で、こうした新しい薬の有効性はといえば、これまでの治療薬に比べて1か月生存期間を延ばすことが確認されたことが承認の根拠になっているものも少なくありません。平均的に1か月生存期間を延ばすことの意味はもちろん重要なことには違いがありません。きめ細やかな点滴や栄養の管理、看護や医学的管理によってもこの程度の生存期間の違いは生まれ得ます。無制限に医療資源を投入することは、かつては不適切と考えられてきましたが、現在では、より長い生命の継続や小さくとも医学的な根拠を金科玉条のようにとりあげられ、逆に人の命や医療の輪郭がわかりにくくなっているように思えてなりません。

研究者や製薬メーカーの意図や活動、医療を受ける立場の患者、医療資源の配分を決める医師、官僚、政治家など、それぞれの立場があります。

企業としては、たとえ1か月でも、ごく小さな違いであっても統計という手法を使って、より生存期間が長いという結果が得られれば、経済的には、それを根拠に既存の薬よりできるだけ高価な価格で薬の販売し、研究開発費を回収し、会社の利益につなげようとするでしょう。時にはその価格設定基準の指標の一つとして、これまでの治療を行っていた場合の総医療費が採用されることもあり、これには違和感を禁じ得ません。

薬の投薬を受ける私たちはどうでしょうか。医学的な知識のある私も、藁をもすがる思いに変わりはありません。個人差はあると思いますが、私は自分のことであれば正直多少は客観的に判断できるかもしれませんが、家族のことであればより患者に近いものになるかもしれません。一方で、両親など、一番自身が身近にいる家族であれば、医学を知る者であればこそ、時には強い意識をもって決断するでしょう。それまでの多くの時間を、誰よりもその人と長く過ごし、その人を一番理解しうる(したいと思っている)者として。でも一方で、この決断は本質的には医学の知識とは関係がないようにも思います。

生きているものの業のようなもので、社会生活には様々な思惑が入りまじり、単純な合意は見つかりません。一方で、生存期間に代表される数値化されやすいエビデンスだけが上滑りし、統計などの手法では計り知れない、より根源的な大事なことが覆い隠されているように思えてなりません。

「生存期間が最も長い」、「最善の治療をお願いします」、「最善の治療をしましょう」、その「最も」という言葉の中にある欺瞞や傲慢に覆い隠されてしまう、「ほんとうに大切にしなければいけないこと」に目を向け、共有できるのかが自身の課題です。
今年も何とか超えられそうです。感謝いたします。

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