ガイドライン

患者さんの診断が確定して治療方針を決める際に最近はガイドラインという病気ごとに決められた手引書が参考にされます。ガイドライン=基準書と訳すと、何かこれに従わなければいけないかのようにも感じられます。実際、ガイドラインが多く作られるようになったのも、日本中どこへ行っても同じような標準的な治療が受けられるようにという意味合いあります。
医療事故をめぐる裁判でも、ガイドラインが守られていたかが争点になることもあります。では、このガイドラインはどのようにして作られているのでしょうか?

ある治療をした患者さんと違う治療をした(あるいは治療をしなかった)患者さんのどちらが治療効果が高かったかというデータを集積し、推奨度(お勧めの度合い)を定めてゆきます。元になるデータも、できるだけ医者の恣意の入らない、二重盲検無作為抽出試験(医者も患者さんもどちらの治療がされているかわからないようにしながら、治療へ割り当てる方法)が信頼度が高いとされます。ある治療をした方が、生存期間が2カ月長かったとか、生存期間は変わらないが生活の質が良かったとか、評価の内容はさまざまです。

例えば、高血圧薬の臨床試験では、3年程度ある薬を飲んだ方が、心筋梗塞の発生率が飲まなかった群より15%下がったというものもあります。つまり、1万人の高血圧患者さんがから普通100人の心筋梗塞がでるとして、3年間薬を飲み続けてることで85人になるという成績です。皆さんはどう感じられますか? 薬を飲んでも85人は心筋梗塞になるし、15人の患者を減らすために1万人に薬を使うことになります。実際、有効性がもっと少ないエビデンスもありますし、逆に、心筋梗塞だけでなく、脳血管障害などの予防効果も含めれば、総合的にはもっと有効なこともあります。
予防ではなく、既に病気をもつ人や過去に病気をした人の再発予防では、より高い有効性が求められます。

こうして有効性が証明されるとエビデンスと呼ばれ、ガイドラインに組み込まれ、医者はこれを元に患者さんにこの治療が標準でこちらの方が良いですよ、と説明することになります。時にはガイドラインに書いてあるということが、金科玉条のように語られることもあります。

明らかにこちらの方が良いという場合は、それを提案するのは当然ですが、でも、もし大きなリスクを伴う治療であったり、副作用が強かったり、極めて高価であったり、利益と不利益の差が小さい場合にはどうでしょうか?
年齢や持病など患者さんの背景によっては、利益・不利益が変わってくる場合もあります。

私は最終的に決めていただくのは患者さんの意思であるといつも思っています。良いこと、良くないことをできるだけ提示して、最終的には患者さん自身に決めていただく以外ないと思っています。ひとつのお薬だけとっても、副作用は小さなものを含めると何十とありますので、現実的には限られた時間の中ですべてを説明できないので、頻度の高い重要なものを中心にお話しすることになります。
「そんな難しいことは分からないからお任せします」と言われてしまうこともある一方で、医師が使う抗がん剤の薬剤情報(drug information)をプリントして渡すとしっかり読んでこられる方もおられます。どこまでを患者さんに伝えるべきかは現場に委ねられていますが、本来最低ラインは行政が伝えるべき内容の基準を定め、医師や薬剤師を交えた検討の後に、製薬会社が患者向けパンフレットとして作成すべきものだと思います。

紙に図を含めて書いて、言葉で説明して、「急に言われても困るだろうから、これをもって帰ってご家族でもう一度相談して来て下さいね」などというやりとりを繰り返しています。

成績が良くても、頻度は少なくても大きな危険を伴う治療であれば、ガイドラインに書いてあっても選ばないという選択もあって良いと思いますし、仮に明らかに優れている入院治療があったとしても、自宅で過ごすことを優先するという価値観もあると思います。その意味では、ガイドラインに記載されていることは一つの選択肢にすぎないと考えています。

利益を受ける機会を失ってはいけないし、不利益もしっかり知って治療を選んで欲しいと思うのです。患者は自分の人生や人生観を大切にしつつ意思決定して、医療側は患者がどのような選択をしたとしてもそれを受け容れられるような医療環境が提供できることが理想です。

自分のことを自分の責任で決めることは日本人には不得意なことかもしれませんが、医療を本当に患者のものとしてゆくためには、医者も患者も少しずつ意識を変えてゆく必要があるように思います。

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