家族

子供が、「お父さん、僕はいつか家族の誰かが亡くなったら1日だけは悲しむけどその後は気持ちを切り替えようと思う」と言う。

ちょっと唐突だったけれど、年老いた祖父母のことや私が病気であることも知っているので、彼なりにいろいろなことを感じて、そして考えさせてしまっているのだろうと思う。

「お前より、父母や祖父母が先に逝くのは自然なことだし、当然そうでなければいけないこと、たとえばお父さんが死んだとして、悲しんでもらうのは1日で十分で、そのときお父さんがいちばん思うとしたらそれは何か、お前にはわかるだろう」というとうなずいていた。
短期間で切り替えることは現実的には難しいことだけれど、子供の言葉に優しさと乗り越えようとする力が育ちつつあるのを感じました。

子供が生まれる少し前に消化管出血で入院したことがあって、その時、せめてこの子たちが死を受け止められる頃までは生きていなくてはと思ったことがありました。仕事柄たくさんの死を見てきましたが、現実的な死を教えること、死に至るまでの過程をみせることは、親が教えるこができることの中でも最後の大切なことだと思うからです。若くして現実に向かい合わせることになるのは残酷であるし、それはどのような場合でもそれなりの形で受け入れられていくのかもしれないけれども、できることならば支えとなる思い出とともに、きれいごとではない死を受け止め、悲しみやつらさを乗り越えようとする力が子供に備わるまでは生きていたいと考えてきました。

今は、お前たちが一人前になり、自分の家庭を築いて護るべき人ができるまでは頑張りたいと思うし、なにより両親を見送り、いつも心配をかけることの方が多いお前たちのお母さんは私が護らなければ・・。

今日も、ちょっと重い内容になってしまいました。