医者と患者の理解に必要なこと

先日、病院主催の医療安全に関する講習会があり、参加しました。
弁護士でもあり、大学教授でもある講師から、医療訴訟の現状についての解説があり、300名近く入る講堂が埋まるほどの参加者でした。日頃は患者側の弁護人として活動されているとのことで、さまざまな事例を含めた興味深い講演内容でした。
講演を聞きながら考えていたことは、医療者と患者との間を埋めるのにはどうすれば良いのか?ということでした。
入院されたことのある患者さんはご経験があるかもしれませんが、患者さんに対する説明の際に、医者は「絶対大丈夫です」とは言いません。今、考えられる病状はこうですという説明に加えて、こんな可能性もある、こんなことも起こりうる、こんな副作用もある・・・、など、「そんなことは聞いていないと後で言われないように」とばかりにたくさんの予防線を張ったような説明になってしまいます。私たちの病院では、最初の説明に1時間以上かかることも稀ではありません。疲れ果てていても、何とか同じ視線で診療を進めたいと思うからです。医療が保険の契約書のような形になっていくことは、誰のためにもならないように思えます。
本当にめざしているのは、医療者も患者も同じで、病気が治癒すること、それが望めないなら、症状を緩和し、進行を抑えること、患者さん自身や家族の生活を、できるだけ病気になる前に近くする、あるいは維持された期間をできるだけ長くすること、以外にないのです。
多くの患者さんは病院に行けば病気は治ると考えて来院されます。残念ながら、現在の医学は病気の仕組みをすべて解明できているわけではありません。感染症などを除けば、治療によっても治癒できない病気も少なくありません。治らない病気であると言われたら、心の動揺は大きく、直ぐには受け入れられないことも当然です。この病院、この担当医には頼れないと思われるかもしれませんし、より専門の病院に行ってみようと考えるのも当然の気持ちの流れだと思います。
私は標準的な治療で対応できない場合は、こちらから患者さんを促して、セカンド・オピニオンに行っていただきます。誰にもこちらの方が良いとは言えない判断をしなければならないときに、より客観的な意見を聞いたうえで決定していただきたいと思うからです。私自身、この病気を自分で診断してから、1年6カ月の間に4人の医師の診察を受けました。1人は今の主治医であり、2人はベーチェット病の診療歴経験の豊富な方でした。限られた時間でしたが、その診察は同じ医師としても本当に頭の下がるものでした。知識はもっていても専門家に確認できると、結果に変わりがなくても、「このままで良い」、「これ以外ない」と、安心とは言えないまでも、納得することはできました。
自分が患者の立場を経験して思うことは、医者と患者が同じ視点にたどり着くためには、やはりいくつかの段階を経る必要があるように思えます。不安・動揺といった感情的要素が主体の段階から、病状や病気の理解を共有する段階に至るまで、医療者には忍耐強い、丁寧な説明が、患者には病気を受け入れる心の変化が必要なのだと思います。幸い今の時代は、担当医からの説明に加えて、インターネットのリソースやセカンド・オピニオンを利用して知識を集めることも容易です。繰り返し、病状や病気について医療者と患者間で理解を共有していく努力を積み重ねる以外ないのかもしれません。
医療者には、同じ内容を伝えるにしても、状況を共有するにふさわしい姿勢や態度、技術が求められます。もう少し医療に余裕があれば、こうした積み重ねの努力が容易になるのですが、当面は頑張るしかありませんね。最後は愚痴のようになってしまいましたが、このブログのめざすところの一つは医療の狭間を埋めることにあります。


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