いじめの記憶

お盆休みに合わせて生まれ故郷で開催された中学校の同窓会に参加してきました。高校のものは何度か参加したことがあったのですが、中学のものは卒業後初めてでした。
会も中頃、一人ひとり挨拶をすることになって、一人から当時いじめられていたことの話がありました。いじめた側として名指しされた人にはまったく記憶がなく、いじめられた側は30年以上経っても消えない心の傷になっているようでした。話しを聞きながら、その方が、これをきっかけに長いトラウマから抜け出せたら良いなと思いながら、次第に暗い気持ちになっていました。そういえば、私も病欠も多かったこともあってか、少なからずいじめの標的になっていたことを思い出しました。
いじめのトラウマというのは外からの暴力の記憶だけではなく、それを跳ね返せずに、受け入れざるを得なかった自分への嫌悪にあるのだと気づきました。中学生というのは、明確な意思もなく他者を傷つけてしまう、ある意味では残酷な時期で、何人かと話しながら、いろいろなことを笑って受け流せるようになったのも、人との出会い、病気や仕事と向かい合った歳月の中で身に着けることができたことかもしれません。
かつての中学生も、もちろん私を含めて、もう立派なおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんでした。流れた歳月、出会った人、失った人を思うと、限られたこれからの時間をほんとうに大切なことに使わなくてはと再確認する機会にもなりました。

にほんブログ村 病気ブログ ベーチェット病へ
にほんブログ村